2012年11月24日土曜日

121030福岡大会ピクニックデー熊本城→天神、中州の夜


楽しい熊本城ピクニックから戻り、天神にある「鉄なべ」へ。
左端はスモツつまり酢モツです。極薄スライスしたモツを酢で味付けたもの。
あとはポテトサラダに冷や奴



焼きそばは野菜たっぷりでうまい、「鉄なべ」は一口餃子のお店です。
もっと羽根つきかと思ったので、ちとがっかり。普通に餃子でした。
本店に行けばよかったかな?後は馬刺しで博多の味を堪能



歩いて(なんだか毎晩このあたりを歩いている)中州へ
那珂川の中州なので、両端が那珂川ということですね。
ご覧のように飲み屋さんのメッカ。屋台もある。


福博であい橋(ふくはくであいばし)つまり福岡地区と博多地区を結ぶということか?
ここで、サックスのストリートミュージシャンがムーディな曲をやってました。
さて、明日は後半組がやってきて、前半組が帰る、なかなか仕切の難しい日です。

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121030福岡大会ピクニックデー熊本城



一回りしていたら、ちょうど最後の十二単体験者募集で、何を血迷ったかつい参加
チャンスだもんね。


なんと写真を撮ってくれたのは、福岡大会ホストチームのジャパンレジェンド
後方の中村直人(サントリー)さん、ありがとうございました。
えーん、そんな日本代表だなんて知らなかった…


花魁道中まで時間があるのでもう一度会場に戻ると、第一試合のレフリー
ピーターさんがきていました。記念に写真を撮るけれど、このあとアクシデント
ピーターさんがカメラを忘れて、スタッフに届けたものの、なかなか届かなかった模様。
でも最後には届いたようで、一安心。



さて、帰り道に戻ると花魁道中やってました。



肩貸しの男衆に手を乗せ、見事な外八文字
傘持の男衆もついて本格的、ホントに美しい花魁さんでした


鳴り物の姐さん方もお揃いです。

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121030福岡大会ピクニックデー熊本城










後ろに見える南大手門の着付けイベントで振り袖を着た奥さま達
皆さん、おきれいです。派手な柄が長身に合いますね。
髪もきちんと飾って、なかなか本格的。褒められ堂々とポーズなんて、ほんとノリがいい。







熊本城内というか、道路一本の所に「城彩苑、桜の小路」というコーナーがあります。















昔の家並みを再現して、お土産屋さんや飲食店が並んでます。


今日は大会のために花魁道中が開催。
準備の整ったきれいな花魁と振袖新造







本格的な三枚歯下駄(さんまいば げた)です。

121030福岡大会ピクニックデー熊本城


天守閣の最上階まできました。小天守もみごとな屋根の重なりで芸術的


見学を終わり、地上へ。イチョウはまだ緑なのでうっかりしてました。

【熊本城は別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」といい、その名前はこの大銀杏に由来します。
清正(きよまさ)公が築城の際にお手植えになったと伝えられ、また、清正が亡くなるときに
「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し
それが奇しくも明治10年(1877年)の西南戦争のときであったとも言われています。
清正は銀杏の実を食料とするために、この木を植えたとよく言われますが
残念ながらこの木は雄の木で実はつけません。
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので
130年でこれだけの大きさに成長したのです】
ということです。なかなか立派な大イチョウです。




場内あちこちで活躍のコスプレ武者。槍を突いてくれましたが正面で分かりにくかった。
闇り御門(くらがりごもん)の戸、ここを出ると天守閣の石垣。
下部はゆっくり、上部は武者返しの急斜面。


こちらが今日のパーティ会場奉行丸
【この曲輪[城の周りに築いた堀、石垣、塀などで構成する区画]は細川氏入国(1632年)後
奉行所が置かれたことから奉行丸と呼ばれている】
赤と白のバッグは大会オリジナルプレゼント、みんなが持ってるので間違わないように。


テントが出て、食べ物ドリンクの取り放題。
奥にあるのが未申櫓(ひつじさるやぐら)


奥は南大手門(みなみおおてもん)ここで着付けのイベント開催中。
外人さんは誕生日の人がいると、アナウンスしてみんなで「ハッピーバースディ♪」
祝われた人もスピーチなどして、普段の人付き合いがわかります。どこでもノリがいい。



アサヒビール、バーベキュー、焼き鳥、焼きそば、ミートパイなど
もちろんラーメンもあり。
イカ串がかみ切れなくてそのまま飲み込んだら、のどに詰まりそうでびっくり。
ビールもたくさん飲むと帰りのバスが…

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121030福岡大会ピクニックデー熊本城


入場口、その前にオーストラリア在住のTom Orr氏と奥さまに手ぬぐいの使い方を伝授
新潟の住吉まつり風にアレンジしました。Tomとはバス中で何とか会話。
タブレット持参で、写真を見せてもらった。台風で庭木が折れたとか、写真があると分かりやすい。


熊本城は寄付で復元をがんばっていて、賛同者は城主として名札がさがってました。


平成19年の台風で2対4本の破損、取り替えたうちのあまり壊れてない鯱とのこと
19年の台風というのはあちこちに傷跡があるようで、塀の一部などもこわれたままとか。


ダースベイダーか!


投降勧告「官軍に降参する者はころさず 」明治10年西南戦争


天守閣の最上階から、となりの小天守をのぞく。


右手の大樹が黄色くなってないので気付かなかった大銀杏
その先が不開門、今は県伝統工芸館への道筋で開いてます。


西出丸の広場と宇土櫓



その左側は今日のパーティ会場、奉行丸という広場。
ズームすると、なんだかもう人が集まってますね。
新幹線組は早かったのかしら。

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2012年11月23日金曜日

121030福岡大会ピクニックデー熊本城


今日はお楽しみピクニックデー、高速道に乗って熊本城へ
新幹線コースも申し込んでみたけれど、満席でバスになりました。
「玉名」のサービスエリア、時ならぬ外人さん達に驚くこともなく、店員さんはてきぱきと応対
さすが観光国です。


ワタシ的には涼しいのですが、温感違いの外人さんは半袖、半パンツ
売店でアイスを買い求めるくらいです。



熊本城到着、ボランティアの方々かしら、お出迎えしてくれます。
行列の先は頬当御門(ほほあてごもん)

後ろに長さ約157メートルも続く西出丸塀が左右に延びており
こちらの広場は西出丸(にしでまる)
塀の行き止まりは戌亥櫓(いぬいやぐら)



天守閣は昭和35年に外観復元、小天守は豊臣秀頼を迎えるために増築されたもよう。
灰色の屋根、白壁、黒い下見板、清正さんのセンスは抜群。


宇土櫓(うとやぐら)築城時はこのような櫓が6棟もあったそうです。
上がってみたかったけれど、後でと思ってたら、もうパーティの時間で行きそびれた。


ここから矢でも射たのであろうか。



本丸御殿地下の「闇り通路」(くらがりつうろ)を通って、反対側へ
後ろには不開門(あかずのもん)
城の鬼門である北東に位置するので開かずということです。

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