2014年9月5日金曜日

131104-05角館、盛岡、毛越寺

 鐘楼堂
現在の鐘は昭和五十年、人間国宝香取正彦氏の作で、天台座主山田恵諦大僧正の名が刻まれている。姿形は、平等院風を思わせ、美しい音色を響かせています
 常行堂跡
法華堂跡は後方
 どこでも自慢のカメラで構図を狙う人に会います






 観自在王院跡
毛越寺を建立の基衡公、その妻が建立


緑とモミジ、静かで広い庭園
心安らぐ地

131104-05角館、盛岡、毛越寺

 きれいに刈り込まれた湿田のような場所
何にもないところがいい
 作業員さんの上着と赤とんぼ
 嘉祥寺跡
巨大な礎石が完存するこの建築跡は、古来嘉祥寺跡として言い伝えられてきました


 講堂跡
本尊胎金両部大日如来
仏法を説き仏法を聴く堂舎
 金堂円隆寺跡
本尊は雲慶作の丈六の薬師如来でした。毛越寺の中心伽藍で、東西に翼廊が出て南に折れ、東廊先端には鐘楼(しゅろう)が、西廊先端には経楼(きょうろう)が附属していました。基壇は石造り壇上積です
 遣水(やりみず)
池の東北側にある遣水は、池に水を引き入れるためと造られたものです。「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。

左の一本は特に赤が強烈なモミジ
 毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいものです。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、周囲の樹木とあいまって平安の雅な情景が作り出されます。

 山ツツジ?まだ花が残ってる


 現常行堂は、享保17年(1732)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されました。堂は宝形造りで須弥壇中央に本尊・宝冠の阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)がまつられています
 この遣水は、庭園の発掘調査中に往時の姿のままに発見されたもので、遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を除いては例がなく、平安時代の遺構としては唯一のものである
 曲水の宴は今でも行われてます

131104-05角館、盛岡、毛越寺

 曲水の宴の舞台となる遣水(日本唯一の平安庭園の遺跡は大泉ヶ池の向こう岸にありますとの看板

順路通り進んでみます。
 静かな鏡のような池の表に映る景色は極楽だったでしょうな
 今日は雲一つない青空
 浄土庭園
仏の世界すなわち浄土を地上に表現したと伝わる浄土庭園
 まるで鏡のよう
 築山、枯山水風
 根上がり松



 真っ赤と真っ黄、葉の形がいい
 開山堂
毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる堂
モミジはまだ若いのかなぁ?
後ろの緑豊かな大木との違い

2014年9月3日水曜日

131104-05角館、盛岡、毛越寺

夜は盛岡にて
ベアレン(盛岡地ビール)
左からサイダー(リンゴシードル)
クラシック、ホットビール

ベアレン風ジャーマンポテト
四角いのはソーセージ
 普代村の昆布と鮭の親子リゾット
普代村はすき昆布で有名、あまちゃんの久慈の南に位置
北緯40度の村で、スペインのマドリードや、中国北京、アメリカフィラデルフィアなどが同緯度だそう。

 ドイツ風カツレツ(豚ヒレ)
薄いカツレツはこれまたビールに合うのよね
 4種のチーズピザ、いわゆるクワトロフォルマッジ
 北上川に面したすてきな材木町のベアレン(もう一店舗あり)
 次の日は快晴のなか毛越寺へ
前回中尊寺の帰りに見かけた時は全然知らなかった毛越寺

紅葉がすばらしい
 手を洗い、まず紅葉
 真っ赤


 平成元年、平安様式の新本堂が建立
 毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったとの事
 本尊薬師如来
奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています

焼失がおおく、その跡地のみ記されてます
これは南大門跡